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アーグラー   (Agra)
ムガル皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻ムムターズ・マハルへの深い愛の証として建てられた「愛の記念碑」タージ・マハールがあるのはこの町。純白の美しいモスクの迫力には圧倒される。デリーからほど近いアーグラーにはぜひ寄ってみたい。 Click for Agra, India Forecast
観光地 料金・開園時間 観光地情報
タージマハール(TajMahal)
(開園時間:日の出〜日没 休:金曜 料金:Rs250+Rs500)

どれほど多くのタージ・マハールの写真を今までに見たとしても、現実に目の前にするとその驚くべきスケール、光とともに常に変化するその表情に思 わず息を呑むでしょう。また日の出と日没時には一層幻想的な姿を現します。
半透明の白大理石がしばしば柔らかく浮くように輝き、また長方形の泉水も反 射 しキラキラ光っています。タージ・マハルは常に、外国旅行のツアー客やピクニッ クで来ている家族、若いインドのカップルなどでいつも溢れています。

広大な内部へは中央階段のそばから行けます。靴を脱ぎ、芸術作品とも言える 廟内に入ります。美しく彫られたコーランの章句、花々のモティーフ、壁がん、 彫刻された手すり、汚れのない石の象眼細工で満たされています。ヤムナー川 に映る姿は日没時に特に雰囲気があります。そびえ立つドームの下に公共墓地 がありますが、本物の墓は地下室に収容されています。正面入り口のゲートに並 ぶ妃ムムターズの棺の隣にシャー・ジャハーンの棺もあります。また博物館(開: 土曜〜木曜 10:00〜17:00 料:無料)では、ムガル皇帝の肖像画、建築上 の図面とタージのモデル、磁器と写真が陳列されています。

愛の記念碑
ージ・マハルはシャー・ジャハーンの最愛の妻ムムターズ・マハルを追悼して造られ ました。彼女は14番目の子供を産みこの世を去りました。悲嘆に暮れた皇帝は、愛妃のために記念の墓を建設すると決心しました。アジアの至るところから何トン もの大理石と宝石が象によって輸送され、また約20,000人の職人と労働者が作業に取り組ん

だと言われています。そして、22年の歳月を掛け1653年にタージ・マハルは完成し ました。その後、シャー・ジャハーンは彼の息子(アウラングゼーブ)によってアー グラー城に収監され、衰弱しながら死を迎えるまでの8年間そこで過ごしました。
そして、1666年彼が死んだとき、最愛の妻のそばに葬られ、彼は妻の墓を見つめ ることができました。

完璧なシンメトリー
美しい庭園はイスラム教の楽園を思い起させるために、ムガル建築で設計され ました。庭園は水路によって四分円に切られ、花の咲く低木と日陰を作る木で 線を引いています。正確無比に左右対称な霊廟の側面の2つの建物でシンメト リーが表現されています。西側にある赤砂岩と白大理石モスクと、東側のゲス トハウスが視覚的なバランスを保っています。

ファテープル・スィークリー(FatehPur Sikri)
(開園時間:日の出〜日没 料金:Rs250+Rs10) アーグラーのおよそ37kmの西に都城の遺跡ファテープル・スィークリーがあり ます。1570年〜85年にアクバルによって建てられましたが、国家的な理由と 水不足が原因で事実上20年もの間放棄されていました。赤い砂岩宮殿は非 常にデリケートで慎重に復興されました。また、この都城は半日で容易に回る 事ができます。

【宮廷地区】
アーグラー門から入場するとディーワーネ・アーム(一般謁見の間)に通じて います。そこにはアクバルが奴隷の少女達を駒に見立て使用したといわれて いる巨大な石のボードゲーム、パチシー・ボードがあります。北に移動すると、 ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、仏教のシンボルを結合した装飾が特徴 的なディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)があります。その中央に、アクバル の神学上の議論のために使われた王座があります。この南には、2階建ての 皇帝自身の部屋のDaulat khanaがあります。

【モスク地区】
行商人で沸き返る広大な中庭の大きな出入口のそばにジャミー・マスジット はあります。中にいくつかの国王の墓がありますが、最も精巧にできているの がスーフィー教の聖者サリーム・チシュティーの墓です。                   

【シェーク・サリーム・シチュー】
子供が出来ないアクバル帝は、世継ぎの為に聖人の巡回を行いました。その 時スィークリーの村に住んでいた聖人シェーク・サリーム・シチューが、アクバ ルは3人の息子を授かると予言。その予言どおり、翌年男の子が誕生しました。
皇帝は、聖人が1571年に亡くなった時、聖人にあやかり彼の村スィークリーに 新しい都市を建てることを決定しました。その時ファテープル (「勝利の町」)が 村の名前に加えられました。しかし、首都の移転の選択ミスでのせいで、16世 紀末のうちに都市は放棄されて寂れました。
スーフィーの聖人シェーク・サリーム・シチューは、名声の恩恵を受けファテー プル・スィークリーに埋葬されました。
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